・ソシュール
→ 言語記号は記号内容と記号表現というに側面の間に存する関係という観点から把握される
→ よって、言語は「現実に対して閉じた構造を持つ体系」であるとした。
→ しかしその場合「象徴」や「隠喩」など、「前言語的領域」に対する考察は抜け落ちてしまうのではないか
・オグデンとリチャーズ「意味の意味」
→ ソシュールの論理を修正しつつ、「意味の三角形」を提示。
→ ちなみに、オグデンは「ベーシック英語」の考案者
上図のような「意味の三角形」を提示した。(p.11より引用)
筆者は、この「意味の三角形」を修正して、上図のような三角形を提示する。(p15より引用)
・第三章では隠喩について取り上げる
→ マックス・ブラックの論文「隠喩」(1954年)を主軸として議論を進める。
→ ブラックの「隠喩相互作用説」
→ ハインリッヒ・ラウスベルクの「文学修辞学」の例文を用いる。
(T.S> Eliot “The Love Song of J. Alfred Prufrock.”, II, 122-31)
「波頭の白を梳る」「波」= 「隠喩の焦点」
→ この「波」のイメージに隠喩が収束している
→ この「意味の流れ」をブラックは「隠喩の枠」と呼ぶ
→ 「隠喩の相互作用説」
→ 関係性に埋め込んで解釈する
「人魚」→ 自分の世界とはいつな、自由奔放に「沖へと」遠ざかってゆく神話的住人
「溺れる」→ 水死 = キリスト教における洗礼 = 再生への一歩 = 「象徴」(「隠喩」でもある)
→ 隠喩は象徴となりうる
→ では象徴とはなにか?
→ ある主体Xが、知覚しにくく直接的に表現するのが難しいために、別の具体性を伴う主体X’を用いて、Xを表現する
→ 例えば、「精霊」や「内省的主体の精神」「感情の働き」や「観念」、ユング論における「元型」など
→ 例: X’である「風」が、「精霊」を象徴する
→ 隠喩は解釈されて初めて象徴となる
p51. 「象徴(symbol)の語源とされるギリシア語 sumbolomは「割符(わりふ)」を意味した。契約のときに木片などを二つに割り、それぞれが片割れを「身元確認のしるし」として保管し、必要なときに二つをあわせて相手を確認するのに用いたという。」
↑ とても良い!
・伝統的象徴と個人的象徴
→ 伝統的象徴の例: 「鷲と鳩」=「純正と純潔」
→ (おそらく)神話などで伝統的に使用されてきた象徴のこと
p122. 「西洋文学において、象徴という概念はどのように扱われてきたのだろうか。隠喩の場合と違って、19世紀に象徴主義運動がフランスで起こり、それ以降詩人は象徴に対してとりわけ意識的になり、現代に至っている。」
象徴に対する理解の変遷
伝統的象徴 → フランスの象徴主義の興隆 → 個人的象徴
ウィールライトは伝統的象徴を軸とした文芸評論を行ったが、フランスの象徴主義を経るに連れて、ウィールライトの理論を修正する必要が生じた。個人的象徴をも盛り込んだ理論家としてコールリッジがいる。
[https://gyazo.com/8201b59e44e67631d6d21abb0c84f36f
(T.S. Elliot The fire sermon)
[https://gyazo.com/2c5770b25701940f62d8ae225a3bfa20
詩の文章の本質↓
→ [* 考: ジョン・ダンやエリオットの詩を読んでいると、文学の本質は「焦点への収束」を基軸とした多層化・多重化に見いだされる気がする]
p184. 「 ロマン・ヤコブソン はテクストの外在性を当然ししており、ニュークリティシズムの内閉性を間接的に批判するものとなっている」
→ ちなみに、ニュークリとは、英米の批評理論で、作品を社会的、歴史的文脈から切り離し、また作者の伝記的事実と結びつけることをせず、純粋に作品そのものに即して論じる、閉じた批評体系。
→ ヤコブソンはソシュールの体系を基礎にしているものの、テクストの外在性は当然視している
→ ちなみに、ヤコブソンは、文学Ⅱの授業の初回で配られたpdfの人