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ゲンロン戦記

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#読書録

p32. 「会社の本体はむしろ事務にあります。研究成果でも作品でもなんでもいいですが、「商品」は事務がしっかりしないと生み出せません。研究者やクリエイターだけが重要で事務はしょせん補助だというような発想は、結果的に停滞しっぺ返しを食らうことになります。」

p32-33. 「もっとも重要なのは、「なにか新しいことを実現するためには、一見本質的でないことこそ本質的で、本質的なことばかりを追求するとむしろ新しいことは実現できなくなる」というこの逆説的メッセージかもしれません。」

「10年間、ぼくはさまざまなひとから、東浩紀はゲンロンの経営なんてやめるべきだ、本の執筆のような「本質的なこと」に時間を割くべきだと忠告されてきました。好意はありがたかったのですが、その忠告はまちがっていたと思います。ゲンロンという会社を経営し、続けること、それそのものがぼくの哲学の実践であり表現です。ぼくの哲学は、「本質的なこと」に閉じこもっていたのでは、けっして実現できなかったでしょう」

p26. 「文芸誌や論断しに集まる人というのは、オルタナティブが必要といいながらも、基本的には権威主義で、エンタメとかアマチュアの世界を下に見ている。それじゃいけないんです」

p43. 「新しい出版社をつくると息巻いても、じっさいは面倒なことを大学の事務員や出版社の編集者に押し付け、見ないふりをしているいままでの知識人たちとたいして変わらなかったわけです。」

「経営の身体」→ 数字の流れをある程度身体的に掴むことが経営に必要
→「事務」によって身体が延長される。

一般的な塾は「授業」=「知識や技術の伝達」が最優先であり、それ以外はサポート対象としていない
→ 一般的な塾は合理性の究極系である

それに対して「ゲンロンスクール」
→ 飲み会が充実している / 講師が混ざることも多い (ただし、生徒による自主活動である)
→ 分厚いコミュニティがある
→ 別に必要ではないかもしれないけど、そうした「本質的でない」ものがスクールの本質を支えている
→ ただし、「飲みニケーション」を肯定しているわけではない
→ こうした中途半端な立場が、今の大学や塾にはコンプラ的に難しい

p125. 「教育というのは、一歩間違えれば、自己啓発系の詐欺行為になる危険性を常に抱えているわけです。」
p126. 「この問題に教育者はどう対処すべきか。ゲンロンスクールを初めて5年、ぼくが見出した答えが「コミュニティをつくること」です」
→ 「受講生に、コンテンツの製作者になる道だけでなく、「観客」になるという道を用意することがとても大事になってく
る。」
→ 「ゲンロン0」における「観客」の論理 (ウィトゲンシュタイン)
「あらゆる文化は観客なしには存在できません。そして良質の観客なしには育ちません。」

→ p127. 「ほんとうはむかしは出版社もそういうことをやってきたのだと思います。小説であれば、作家を育てるだけでなく、読者を育ててきた。文芸誌も読者とともに育ってきた。けれどもいまの出版社は、売れる作家をどこかから探し出してきて、一発当てることしか考えていないように感じます。読者=観客を育てるという発想を、出版人は忘れてしまったのではないでしょうか」

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YuWd (Yuiga Wada)
著者
YuWd (Yuiga Wada)
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