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「批評理論と社会理論 1: アイステーシス」

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第六章「自己表現と<癒し> ー <臨生>芸術への試論」(荒井裕樹) が面白かった
→ 安彦講平が精神科を中心に営む造形教室に通う「実月」という女性の絵・詩について

実月
→ p127. 「学校にも通えず、働いてもいない自分が、「このまま社会や周りの人々から取り残されてしまうのではないか」という強い不安を抱えており、何かをせずにはいられない焦燥感にかられていたようである。かつての実月にとって、描くことは「どろどろした心の中身を吐き出すよう」で、とても辛く苦しかったという。特に自宅で孤独に描くことは、「自分と向き合わなければいけない宿題みたいな作業」であったという。」

→ 実月 「自分にとって、表現することは許されること」
→ 「許される」とは、心の底に深い闇を抱えた自分のことを受け止めてもらえること、(…)、負の感情を抱えていることを、注意されたり、批判されたりするのではなく、苦しんでいる事実そのものを受け止め、認めてもらうこと

→ p137. 「自己が周囲に埋没し、塗り込められた世界だったのでないか。自己が<図>として<地>から分離できず、<場>の次元に押し込められて存在する」

→ p140. 「実月は、造形教室の人々が「批難も比較もせず、自分を受けいれてくれたことが嬉しかった」という」

考: 社会学の期末レポートを書き終え正当な評定がかえってきた時、「ああ、先生が読んでくれたんだ」という思いがあった。そこには、<図>として<地>から分離していなかった僕の宿痾の輪郭が漸く浮いてきたような気分が萌芽した。

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YuWd (Yuiga Wada)
著者
YuWd (Yuiga Wada)
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