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詩の誕生

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考えたこと

芸術の「言語性」と「言語超越性」

言語性(構造的美)
→ 構造性、思想、メタ性を持つ
→ 例えば; キュビズム / ダダイズム / 村上春樹

言語超越性(感覚的美)
→ 理由はわからないけど、なんとなく良い、って感じ
→ マニエリスム / あらゆる芸術には、この要素がある(はず)

芸術に「詩」という言葉を用いる人がいるらしい (陶芸家が、陶芸を詩と読んだり。)
→ また、実体のわからない「何か」に対しても「詩」と呼ぶらしい
→ 「言語超越性」が「詩の記号性」に与していると思われる

→ 我々に一番身近な存在である「言語」を全体の構成要素に用いているためか、我々は「詩」に、他の芸術作品よりも幾分大きな親近感を感じる
→ 詩の「親しみやすさ」と「得体のしれなさ」、この二つのポテンシャルの落差に、他の芸術よりも容易に我々を惹きつける、言語超越性の起源があると思う

メモ

「和」=複数という意味合いを持つ
→ 数学の「和」や中国語の「和」を想起してみるとわかる
→「和歌」の「和」は「唱和」の「和」と同じ
→ 和歌=複数人で詠う歌、ということ

紀貫之の歌について(大岡信) p53.
「我が背子が 衣はるさめ ふるごとに 野辺の緑ぞ 色まさりける」(古今和歌集)
→ 若妻が夫の衣を染めて、それを戸外で張っている、そういう季節に春雨が降る、降る旅に野辺の緑も色濃くなって(やはりこれ張って)くるというふうに、一つの歌にいくつか認識が重なり合って表現されている

→ 古今和歌集以前のもっと、素朴な形の詩に対して、層を成して重なり会うイメージの群れに喚起される詩という、もう一つの詩が加えられた。
→ 古今和歌集というのは、そういう意味で、日本の詩の中のはっきりと新しい言語意識の出発だと思う

~随筆とエッセイの違いについて~
西洋=エッセイ: 書いている主体の生活が描かれる
日本=随筆: 主体が極度に希薄化される → 季節感への没頭など
→ 「彼がじっと見つめているものの方だけ浮かび上がってくる」「川端康成んの言葉を借りれば、末期の眼みたいなものだけが生きていて、見ている主体のほうは闇に沈んでしまう」p73.

「中国人にとっては桜なんて花は特別の親しみはないけれども、ももは花の王として最も愛されてきた」p102

谷川俊太郎
「コップへの不可解な接近」
→ 「コップを正確に記述しようというのが出発点だけれども、最終的には、通常我々がコップと呼び慣れているものを、コップじゃないものにしたいという欲求があるんだな。コップを性格に記述していく過程で、コップがコップ以外のモノに変容してほしいという気持ち」p116

谷川俊太郎
→ 外に向いた思考 / 具体性の詩

大岡信
→ 内に向いた思考 / 抽象性の詩

「イメージのすり替わり」=連想について
→ 大岡「普通は、空想というものはとりとめもなく観念がさまよっていくよね。しかし、言葉の世界で空想すると、まるで違う確実性を持った"さまよい"が出てくる。それは詩の重要な要素の一つだろうと思う」p128

「うたげと狐心」

瀰漫

〜松尾芭蕉と「切り捨て」について〜
芭蕉は「思い切りがたいへんにいい人で、捨て身のところがある。」
「弟子との付き合い方でも、最後までの弟子はわりあい少なくて、ある時期非常にかわいがられても途中でポイと捨てられている弟子が多いらしい。」
「全体としてみると、切り捨てる、そこに自分の批評眼のすべてを賭けていくという感じがするんだ」
「思うに、切り捨てるとうことは、想像力とかいろんな問題に深く関係しているのじゃないかな。」

我々は想像力というものを、頭のなかでなに築き上げ積み上げていくものと考えがちだけれども、そのほんとうの姿というのは、逆に何かを削っていくことじゃないかという気がするんだ。削れるかぎり削って、最後にこれ以上削れないものを差し出されたとき、読むものは、その痩せ細り鋭くなったものから、そこにくっついていたたくさんのものを、一瞬のうちに見てしまうのではないか。」
「現代詩が添削できないのは、一つには、たいていの場合、肉が付きすぎているからなんだよ」
「肉の部分を削っていって、たった1行の骨を残してみると、その詩自体の質がはっきりするかもしれない。」
「残した1行のまわりに、膨大な何かが浮かぶとしたら、それは非常にいい詩だろうね。」

p198 ~ p190

「古池やかわず飛び込む水のをと」
→「 ときどき、こっちの精神状態によっては、異様な句に見えてくることがある。こんな新しい詩があるのだろうか」p190

考えたこと

→ 「多くを語らない」ということ
→ 仮説を仮説として設置するということ

〜暗唱の重要性〜

谷川俊太郎
→ 暗唱が重要ではないかと言っている

→ (もしかしたら)
「暗記によってふとその詩と自身が一体化する」という行為が失われている?

「芸術作品に何かを求めるというのは、自分の中に欠乏を意識しているからだ。」
→ こういう話よく聞くけど、正直なところ、未だに具体的な実感が湧かない ( #未解決 )

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YuWd (Yuiga Wada)
著者
YuWd (Yuiga Wada)
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