#読書録
・大浦康介
→ 「大まかな分類ながら、いわゆる解釈(エクセゲーシス)を基本とする批評(クリティック)と文学の形式を扱う詩学(ポエティック)というジェラール・ジュネットの区別を援用し、後者をやはりジュネットにならって、文学理論と同一視したい」
→ ただし、ポエティックは<意味>を排除しない。
→ 「文学が意味生産と受容のシステムであることは自明であるとして、むしろ批評が作品の「意味はなにか」を問うのに対して、文学理論は(文学的言説において)「意味はいかにして可能か」を問うのだ」
・テクスト生成論
→ テクスト生成論とは、「文学作品がどのようにつくられるのかを理論的、実証的に研究する方法のことをいう。」
→ この方法は比較的最近のフランスで生まれた。
→ 20世紀半ばまでは、登場人物のモデルなどを掘り起こすという意味で使われていたため、そうしたテクスト外部のように重きを置く伝統的方法と区別するために、草稿類に依拠した作品の内的発展の研究は、「ジェネティック La génétique」と呼ばれるようになった。
→ 草稿には、書いた文章、字句を消したり、加筆したり、単語を書き換えたりした形跡がそのまま残っている
→ 草稿には決定稿とは違って、「制作の時間性」が含まれている (追体験可能性)
草稿研究は、写本の比較の必要などから、昔からあった
→ 印刷技術の普及とともに草稿研究は薄れていくものの、「作者の残した文献を活用する」という思想はサント=ブーヴが取り入れていた。
→ 今世紀では、サント=ブーヴから多くを継承したギュースターヴ・ランソンなどがある
決定稿に先立つ全てのテクスト、つまり創作メモ、手書きの草稿、清書原稿、タイプ原稿、校正刷などをまとめて「前テクスト」と読んだのは、ジャン・ベルマン・ノエル。
・ナラトロジー
→ ナラトロジーの基礎を与えたのは先程のジュネット(「物語のディスクール」)
→ ディスクールとは、エミール・バンヴェニストによって規定された言葉
→ ディスクール = 語り手の聞き手に対する働きかけ
→ レシ = 語り手なしに、生起した事実を提示するもの
→ 要は、ディスクールは一人称 / レシは三人称
→ ジュネットの主張によって、あらゆる物語世界を「語り手によって構成されたものとして考える新しい視点」が生まれた。
→ 例えばただの会話の記述であっても、「その場之風景、登場人物の表情、声の調子、間のとり方といった部分は語り手」の描写に依存する
→ つまり、小説はかならず「事件を「解釈」され「編集」された形で提出するものであり、語りての行為はこの主観的編集作業にほかならないのである」
・テーマ批評
→ 「形式的テーマ批評」+「意味論的テーマ批評」
形式的テーマ批評
→ 内的構造と形式て変形、およびその他の諸テーマとの関連性を探ろうとする
意味論的テーマ批評
→ 諸テーマの機能と役割を解釈し、人類学的原型、歴史的、社会的布置の表現として析出させる。
テーマ批評によって「作家の想像力の追体験」という悦楽がえられる!
・「よみ」の理論と読者論
ギヨーム・アポリネール
→ 詩集「アルコール」の関東市「地帯」の冒頭部に
「おまえは よむ 大声で歌っているチラシ カタログ ポスターを / それが今朝の詩だ 散文なら新聞がある / 犯罪記事やえらいひとの顔写真や無数の雑多な見出しでいっぱいの / 二十五サンチームの定期刊行物がある」
→ 身の回りの日常的現実のなかにポエジーを見るという主張が隠れている
→ キュビストたちのコラージュ・ポップアートなどにつながる
ロートレアモン
→ 「詩は万人によって作られるのでなければならない。ひとりの人間によってではない」
アルチュード・ランボー
→ 「私とは一個の他者である」という定式を打ち立てて、歌う詩人の主体のありようを鋭く言い当てた